貧しくとも
心はつねに
高貴であれ
一輪の花にも
季節の心を知り
一片の雲にも
無辺の詩を抱き
一椀の米にも
労苦の恩を思い
一塊の土にも
大地の愛を感じよう
いじけるな
あるがままに
おのれの道を
素直に
一筋に
歩け
〜六魚庵天国〜
この詩に出会ったのは、大学1、2年生の頃だったと思います。
わたしの母、父、同居していた父方の祖父母の家族四人は
わたしが12〜15歳の間に次々と病死をしていきました。
それからしばらくは・・・
それはちょうど高校に通っているときでしょうか、
とにかく、3歳上の姉と一緒に生きていくのが精一杯だったように思います。
正確には、その日その日を「やり過ごす」といった方がいいかもしれません。
そして、高校を卒業し、大学進学のため新聞奨学生をしながら、一人暮らしを
始めました。そこで、ようやく短期間のうちに家族に起こったことを振り返る
時間が多少できたのですね。
また、お酒を飲める年齢になり、今だったら晩酌好きだった父親の相手が
できるのに、いろいろな話ができるようになったのに、という思いが
こみ上げてきたのだ、と記憶しています。
大学の友人やアルバイト先に、そんな気持ちを共有できる人はおらず、外見上、
そんな素振りは見せないよう努めていました。
しかし、家に帰ると、気持ちが極度に落ち込み、外に出る必要のない時には
部屋にずっと閉じこもっていまいた。時々姉から電話があると
「あなた鬱じゃないの、どうにもならないことを考えすぎないように!」
と言われたこともありました。
実際、そう言われても、鬱という言葉の意味を当時よくわかりませんでした。
それが逆によかったのだと思います。
そういう時期に出会ったのが上の詩でした。
こころが癒されました。
何度も何度も紙に書きました。
「いじけるな・・・」で始まる最後のところは、愚痴や弱音を
吐きそうになった時、今でも口ずさんでいます。
心はつねに高貴であれ
きっとこの詩はあなたにも勇気を与えてくれると思います。
あなたは、素直に、一筋に、あなた自身を歩いていますか?
念ずれば花ひらく
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