2014年2月24日月曜日

タンポポを見よ

順調に行く者が
必ずしも幸せではないのだ
悲しむな
立ちあがるのだ
タンポポを見よ
踏まれても平気で
花を咲かせているではないか

真民さんは、ご自宅の堂を、「たんぽぽ堂」と名付けられ、その晩年まで詩作を続けられました。

「たんぽぽ堂」は、真民さんがこよなく愛された四国(詩国)、愛媛県砥部町にあります。

真民さんにとってタンポポは特別な、特別な植物です。
その佇まいに共感し、ご自分の人生とを重ね合わせていらしたのでしょう。

ところで、個人的な経験ですが、わたしは大学を卒業する年に、真民さんを訪ねて「たんぽぽ堂」まで伺ったことがあります。

東京から鈍行列車を乗り継ぎでの旅でした。

当時、大学を卒業して一般的な就職をするか、合格通知をいただいていた青年海外協力隊に参加するか、それとも、当時復興を果たした薩摩切子の職人の世界に飛び込むか、悩んでいたのです。

そこで、高校時代に濱里忠宜先生を通して知り、その後の精神的な支えの一つになっていた真民さんの詩に、また真民さんに直接お会いしたい、という衝動に駆られ、とにかく青春18切符を握りしめ「たんぽぽ堂」に向かったのです。

真民さんは、見ず知らずの学生を「たんぽぽ堂」に招き入れてくださり、終始、微笑みながらわたしの拙い話を聞いてくださいました。

タンポポの優しさに包まれているような不思議な感覚に包まれた時間でした。

そして、真民さんのところを後にして、真っすぐ故郷の鹿児島に戻り、濱里先生に報告に行き、最終的に、アフリカに赴任することに決めました。

その後、タンポポの種が風に吹かれるままフワフワと空を自由に飛び、新しい土地でしっかりと根付いて花を咲かせていくように、自分の人生もそうありたいと願ってきたように思います。

だから、「立ち上がるのだ タンポポを見よ」というところにいつも勇気づけられてきました。

長く寒かった冬も、もうしばらくで終わり。
もうすぐ春です。タンポポの季節です。
タンポポに励まされながら、一人一人が自らの花を精一杯咲かせていきましょう。

念ずれば花ひらく

2014年2月17日月曜日

光が射しているのに

光が射しているのに
あなたはそれを浴びようとしない
呼んでおられるのに
あなたはそれを聞こうとしない
手をさしのべておられるのに
あなたはそれを握ろうとしない
お経にもそんな人のことを
書いてあります
どうか素直な心になって
二度とない人生を
意義あるように生きて下さい


私たちは、もっと希望できると思う
闇は光に、悲しみは喜びに勝らないのだから。

私たちは、もっと自分を信じられると思う
注がれている光を拒まず、そのまま受けるだけで。

私たちは、もっと愛せると思う
一人ひとりが、かけがいのない生を受けた、その事実に心を留めるだけで。

真民さんのこの詩に触れると、そんなことを考えます。

念ずれば花ひらく

2014年2月10日月曜日

愛の真実の中に生きる

わたしは日本に生まれたから、
日本の存続を乞い願うのである。
しかし今の日本を見ていると、
危機感だけが増長増大してゆく。

史上かつてない日本の精神弛緩であり、
国民意識の欠如である。
うすっぺらな幻影的繁栄がいつまで続くか。
しっかりした背骨を持たない民族は、
ひとかたまりもなく重圧に屈してしまうであろう。

国土を愛し、そこに住む鳥獣を愛し、
草木を愛し、祖先から受け継いできた言葉を愛し、
愛の真実さの中に生きてゆく、
それがこれからの真の宗教なのである。


真民さんは、日本のことを念頭にこの詩を読まれていると思います。

しかし、生態系破壊などの環境問題、社会経済のグローバリズムが進行する中での偏狭ナショナリズムの高まり、国内外の所得や希望の格差問題など現代社会が抱える課題を見渡すと、この詩の普遍性の高さに改めて気づかされます。

「しっかりとした背骨」は、郷土の自然、動物、言葉、文化をよく知り、それを愛することから生まれ、それが別の土地で生まれ育った他者の理解と愛につながっていく。

自分を育ててくれた土地や人を愛し、そうして育てられた自分への正しい愛を育むことが、他者への愛、そして真実に生きることにつながっていく、そう信じることをこれから私たちの道しるべにしなさい

真民さんは、そう語りかけているのではないかと思います。

あなたは何を真実として生きていますか?

念ずれば花ひらく

2014年2月3日月曜日

軽くなろう

軽くなろう
軽くなろう
重いものはみんな捨てて
軽くなろう
何一つ身につけず
念仏となえて
あるきまわった
一遍さんのように
軽くなろう


21世初頭の現代に生きるわたしたちは、ますます複雑化した
社会の中で、仕事や生活のこと、家族のこと、自分自身のこと、
将来のことなど思い悩むことに事欠きません。

みなさんも、いつも何か考えることが多くて、頭が重い、
心が痛む、という経験をされてきたでしょう。

そういう時は、真民さんのこの詩を思い出して、
深呼吸をしてみましょう。

深呼吸をしながら、心の中で「だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ」
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と何度も唱えると
少しずつ落ち着いてきませんか。

心が澄み切ってくると、もうとらわれることもなく、自由で、明るく、
心も身体も充実して、今の自分を肯定できるようになるのではないでしょうか。

生きていく、ということは、時として、重荷を抱えこんでいく
ことと同義かもしれない、と思ったりもします。

軽くなりたい、と願いながら、なかなかそういうわけにはいかない、
人間とはそういう弱い、弱い存在なのかもしれません。

でも、だからこそ、何が大切なことか、
何が幸せかを再確認するために、この詩を心に、
深呼吸をする時間を大切にしたいと思います。

今日の、今のあなたの心は軽いですか?

念ずれば花ひらく